長い間お疲れ様
今年の3月いっぱいで定年退職した親友のN。
彼と共通の友人と二人でNの退職の慰労会を企画しました。選択肢の豊富な伊豆箱根、草津に伊香保、四万、谷川の群馬の名湯、鬼怒川に那須高原と色々考えましたが三人とも未経験という福島飯坂温泉を選びました。
ここには少し経緯がありまして実は第一希望は福島母畑温泉の八幡屋でした。
42回目になった「プロが選ぶ日本のホテル・旅館」で不動の総合1位の座を守り続けてきた和倉温泉加賀屋を抜いて堂々トップの座に輝いたのがこの八幡屋。
幹事役の僕が早々に予約を入れるべくアクセスしてみました。
まあ、予想はしていたのですが予約可能な日程は曜日にかかわらずほぼ満室>_<
そんな経緯もあり日本一の旅館は断念せざるをえませんでしたが、他に総合旅行予約サイトの評価と口コミ上々で、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館」のもてなし部門10位、料理部門4位の宿が福島穴原温泉にあり。
そこでその旅館 匠のこころ吉川屋に決めました^ ^
余談ですが僕は自他共に認めるAppleフリーク、エバンジェリストです。
このApple教に入信することになったトリガーこそNなのです。
人生を変えたMacとの出会い
僕の知り合いの中でも博学、雑学で群を抜いているN、かれこれ30年前に彼が僕にMacを教えてくれたのです。
NEC98が日本中を席巻していた当時、たまたま彼のオフィスに行った際にMacと出会いました。
コマンド入力が常識だった中でNが使っていたMacはディスプレイの画面が全て絵で表現されていて度肝を抜かれました。今でいうGUI、そう全てのパソコンにパッド、ケータイでも採用されてるアイコンによるインターフェースです。
彼のオフィスでMacと初めて出会ってから数日後僕のオフィスにも同じMacがありました^ ^
確か当時の価格でおおよそ100万円だったと記憶しています。
あそこであの時にMacと出会ったからこそ、その後ITの会社を立ち上げたし、現在の仕事にもつけている‥
まさに僕の人生に多大な影響を与えてくれたApple、そこに導いてくれ人こそNなのです。
現地集合‥感じることあり、そして思うことあり
先週はbabarinaと東北道を北上して那須高原までのドライブでした。
今回は一人旅。ならば‥
違うけ景色を楽しみながらのドライブがいいと常磐道を走り、いわきから郡山に抜けそこから福島を目指すルートにしました。
進行方向左手に筑波山を眺めながら走っていくと連続するトンネル群、そこを過ぎると右手に日立の海が見当たりと東北道とは違った表情が楽しめました。
ただいわきジャンクション近くに来た時に突然視界に飛び込んできた放射線量の表示器。
わずか数年前に未曾有の大惨事が日本で起きたことを思い起こしました。
日本人であれば多かれ少なかれそれなりの規模の地震を経験しながら生きてきたとことでしょう。
その地震で一部には尊い命を失った方や家屋の倒壊等で生活を一変しなければいけない方がいたことは周知の事実です。
ただ激震による建築物の倒壊ではなく津波という水の暴力的な力による広範囲に及ぶ壊滅的な被害を目の当たりにしたのは、もうじき還暦を迎える五十代後半の僕でも初めての経験だったと思います。
ということは多分大多数の日本人が初めて見た地震による巨大津波の被害だったのではないでしょうか。
これだけでも目を覆う信じがたい光景だったのですが、その後の福島原発の事故は「目に見えない分」その恐怖は桁も質も違ったもので正に未体験、異次元の恐怖でした。
放射線量表示器を見た時にあの大惨事はまだまだ終わっていないということに気付かされました。
喉元過ぎればのたとえのように自分や自分の周りの日常がいつものように、普段取りに回り始めると脳の片隅の方に追いやられてしまう震災の記憶。
しかしそれは自分だけの現実。人生とは人、モノ、事との出会いの連続の中で何ができるかを改めて感じ考えさせられました。
福島に絶品の塩ラーメンあり
旅先での楽しみの一つは間違いなく「食」^ ^
財布に厳しい敷居の高い名店の味から並んででも食べたい庶民のグルメまで、その土地土地にそこでしか食べる事の出来ない名品があります。
今回福島でリサーチしてみたら有難いことにラーメンがヒットしました。
店の名は伊達屋、塩ラーメンが絶品とあり食べログでもラーメンデータベースでもかなりの高評価です。
昼食は何の迷いもなくここにしました。
現地集合の時刻がチェックインタイムの15時でしたのでそれに合わせてお昼タイムも遅めの13時半。
しかし伊達屋に併設された駐車場はこの時間帯でも満車、致し方なく裏手に回ってみると伊達屋専用駐車場が^ ^
ここは福島県ですが、そこに居並ぶ車のナンバーを見てみると、山形、宮城、栃木と多彩な他県ナンバー。
そして待つ事30分で店内に入りお目当の塩ラーメンを注文。
出来上がりのラーメンを供するる際、品目名をいうのが流儀のようですが先客は全て塩ラーメン。
ご夫婦で営んでいると思われるこの店、奥さんのからのオーダーを純朴そうなご主人が復唱してから仕事にかかる丁寧さ。
着座から待つ事15分でラーメンが着丼^ ^
早速いただくと‥
麺はやや細のストレート麺ですが茹で加減がアルデンテ(笑)いい感じです。
噛むと小麦の味が感じられるような麺そのものも楽しんでくださいといわんばかりの麺と茹で加減です。
大切なスープですが実はラーメンでは塩が一番難しい、ごまかしがきかない>_<
味噌や醤油はごまかしが効く(笑)というか味を複雑系に持っていけるわけです。ところが塩は真逆の単純系の味で純粋に塩とスープの味がダイレクトに分かる訳です。
ここの塩には驚きました。
全くと言っていいほど雑味がない。とても澄んだスープなのになんとも言えない深みがあり理想的な塩ラーメンのスープでした。ラーメン界で塩といえばスーパーの生麺にもなってる埼玉のぜんやですが、明らかにこっちの方が美味しいと感じました。
これでほぼ全員が塩ラーメンを注文しているのにも納得。
さらに驚いたことに会計を終わって店をせる際に、わざわざ玄関にご主人まで来て夫婦揃って有難うございました。
しかも奥さんは合唱してお待たせしてすみませんでしたのお詫びまで。
一杯のラーメンに真摯に向き合いお客様に心からの感謝の意を持って接するその姿勢に思うこと多き。
こちらこそ襟を正して「有難うございました、全てが心に沁みました」
よく言われる東北人の純朴さ純真さを垣間見たような気がします。
この界隈に来る機会があったら是非何度でも訪れたいお店でした。
えっ?八年ぶり?
待ち合わせ時刻にロビーで落ち合った彼ら。
部屋に移動してから夕食までの間は女子会ならぬオヤジ会(笑)
まあ女の子ならずともオヤジでも四方山話に花が咲いて時間を忘れていました。
一風呂浴びて食事会場に向かうまでの数時間は懐かしい話で盛り上がりましたね。
それにしても‥
各々二人で会う機会は何回かあったのですがこうして三人で会うのは、な、なんと八年ぶりとか>_<
ちょっと驚いちゃいました。でも、そんな気が全くしません(笑)
まあ、古くからの友人や親友ってそんなもんですよね^ ^
食事の写真を撮るのは僕だけ^ ^;;
博学なれどとても大切な一つを忘れるNの事を僕は「歩く九十九科事典」と呼んでました^ ^
彼の家の書棚には相対性理論から密教の世界、そして花とゆめまで渾然と置かれている僕に言わせると元祖オタク。
その彼も基本は呑んべい。
かたや確率論を駆使しながらの勝負師のH。競馬、競輪、パチンコと合法的な賭け事がライフワークだった彼曰く「宝くじだけで三千万円以上つぎ込んだ」>_<
と云いながらも無借金で家庭も丸いところを見ると彼の確率は勝つためのものではなく破綻しないためのものだったのかな?(笑)
こちらも同じく呑んべい。
アルコール猛者時代の僕を熟知している彼らは酒をやめた理由も知っているので僕オーダーのノンアルコールビールにも嫌な顔はありません。
で、カンパ〜〜〜イ!^ ^
呑んべいが揃ったミニミニ宴会‥その後は想像にお任せします^ ^;;
はっきりしてたのは彼らの喉は強かったことと呑んべい達は食事の評価よりもまずアルコール。
旅の記録も兼ねてる僕以外に料理の写真撮るなんてありえませんでした、ハイ^ ^;;
プロが選ぶ日本のホテル・旅館料理部門4位なのでかなり期待してたのですが、僕的にはやや残念>_<
日本の宿古窯や白玉の湯泉慶・華鳳の方がいいんじゃないかな? ただどこも巨大ホテルですからね、熱いものは熱いうちに冷たいものは冷たいうちにとはいきませんからね^ ^;;
ちょっと市内観光、昼食、そして解散
昨夜何時に寝たのかわからないぐらいのまま眠い目をこすりながら朝風呂を浴びで頭と体を起こして朝食を食べてからも雑談^ ^
二人とも迎え酒をしなかったのは移動手段が車だったから?それとも歳のなせる技?(笑)
チェックアウトギリギリに宿を後にして向かったのは旧堀切邸。
三人とも史跡巡りは好きですが特に九十九科事典のNは大好き^ ^ ならば旅の記念にとここでツーショットでバシャッ!^ ^
お昼ご飯は僕の事前学習で福島名物円盤餃子の予定で、しかも店も照井という評判の高い店で思っていたのですが、現地で発覚したのがこの店の営業時間は17時からだということ>_<
あらら、ということで宿泊先の吉川屋のフロントで教えて貰った店に。
これがまたオールウエィズ三丁目の夕日に出てきそうな実に昭和な、なんともレトロな店。おまけにウエイトレスもレトロで年の頃は八十代後半のおばあちゃん。
薄暗い店内で昭和を満喫しながら食べた円盤餃子は肉が少なめ野菜が多めの胃に優しい餃子でした^ ^
来年はHが定年です、その翌年が僕。
今回はNの慰労会なので彼には一切金銭的な負担がかからないように僕とHで配慮しました。
ですからHの時は僕とNの二人でそうするでしょう。
Hが漏らしていました、こんな形の慰労会はなかなかないよ‥
思えばそうかもしれません、職場では送別会を兼ねてやりますが果たて友人だけでとなるとあまりないかもしれませんね。
三人別れ際に毎年この会を恒例にしようと、退職慰労会の順番が過ぎても必ず温泉場で年に一度は会おうと誰からともなく提案があり勿論三人同意でした。
楽しみがまた一つ増えました、有難う。
とてもいつも通りな休日
誕生日は那須高原でランチ
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