インスタでのカミングアウト
夕食を終えた後のコーヒータイムに訪れるのが日課になってる感のあるインスタグラム。
そこでペコリ時代からの知り合いのJoちゃんがこんな投稿を。
「‥
ここ数日体調が悪くて‥
以前より目をそらしていた現実に
向き合い病院に行ってきましたよー
‥
ハイ。。
入院&手術 決定ね。
やっぱりなぁ
‥
わかっていたのよ‥
<中略>
普通これって一人で聞いていると
泣ける宣言ぽい。。
‥
しかーし!大丈夫な私
強いな‥笑
‥
なんとかなるでしょう
<中略>
そうだ!
鰻とビールで気分変えよう♪」
僕の良縁のバーチャルガールフレンドは皆魅力的な女性達ばかりです。
彼女、Joちゃんも外見も心も美人さん。
僕の経験からすると美し薔薇には棘があるの例えよろしく、往々にして才色兼備な方はお高くとまった言動があるのですが彼女は真逆の虚心坦懐、明鏡止水。とてもスマートで柔軟な優しさを持つ女性です。
バーチャルフレンドとは誰とも会ったことがありませんがbabarinaの誕生日記念に行った名古屋飯聖地巡礼ツアーでは彼女に連絡してタイミングが合えばお会いしたいと思ったぐらいです。
その彼女が病に‥
彼女のコメントの行間からいいようのない不安を感じ取ることは難しくありません。
インスタのDMですぐにメッセージを送りました。
四苦八苦という言葉はお釈迦様が説いた苦しみの種類です。
まずは根源的な苦しみとして生老病死、思うようにならないこととして愛するものと別れる愛別離苦、憎んでるものと会う怨憎会苦、求めてるものが得られない求不得苦、体や精神が思うようにならない五蘊盛苦を合わせて説いた言葉です。
僕はここで前から大きな疑問を抱いていまた。
老いることや病になること死を迎えることが苦であることは容易に想像できますが生まれることは果たして苦なのでしょうか。
生まれるからこそ老い病み死すからこそ苦ということならばわからないわけでもありませんが、では生まれなければそれらがない代わりに感じるための実体もありません。
四十代に毎週通っていた坐禅会で禅を組んだ後にいただく和尚様の講話や説法でその答えと思えるようなことを何度か聞いてはいますが腑に落ちていません。
この問題を突き詰めて考え出すとどうしても「空」という仏教の核心?に迫らざるをえなくなり、壁に当たり視点を変えて論理的思考から考察すると量子力学の超ひも理論(簡単に言うと宇宙に存在する人間も含めたすべてのもの究極の要素、最小単位は粒ではなくひもであり、そのひもの振動((エネルギー))が素粒子を形作る)に「空」みるように思えます。
生まれ老い病み死す
ブロ友のブログの「新聞のコラム」で死生観について書いていましたが、そのブロ友の言う通り過去のこれは四苦八苦の特に死については人類の永遠の命題かもしれません。
ブロ友の言葉を借りると正しく「‥凡人が考えても仕方のないこと」
ただ一つ僕たちがそれを避けることのできない宿命として受け止めていることが老いると死すことだと思います。
アンチエイジングなどと若さを保とうとすること自体老いることの自覚の証明ですし死を否定する人もいないでしょう。
ただ病むということだけは可能性は低くても回避可能という微かな期待があるのではないでしょうか。
人はこの世に生を受けた以上老いると死すことは宿命です、でも病むということは絶対とは言い難い。
ごく稀に老衰で死を迎える人もいます。
生も老いも死すことも万人に満遍なく訪れる宿命なのに病だけはそうは言いがたい一面があります。
イメージの大切さ
とある書によると人は思いの奴隷なそうです。
潜在能力開発のセミナーなどで教えられることの一つに「思考は実現化する」「願った人生を歩む」があります。
ならば回避可能かもしれない病?は直したり遠ざけたできるのでしょうか。。。
阿頼耶識?集合的無意識?
これは大乗仏教の思想の一つで眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識のうち第8番目で、人間存在の根本にある識層という考え。
平たく言えば人間の視覚、聴覚、嗅覚、味覚などの感覚で得た情報に強い情動(強烈な思い)が加わって阿頼耶という識にインプットされると、いずれそれは現実となってアウトプットされるという考え方です。
ユングが提唱した集合的無意識。
集合的無意識は12か13層になっていたはず。その層の一つが阿頼耶識と感じてしまう僕です。
量子力学の世界では時間は双方向に流れているとか。。。
つまり時間は現在から未来にだけに一方行で流れるのではなく未来から今(過去)にも流れるそうです。
そして未来での決定が今に影響を及ぼすんだとか。。。
つまり原因に基づいて結果がある因果律ではなく、結果に基づいた原因が形成される云ってみれば果因律?の世界。
そんな馬鹿な!への答えの糸口は、現在非科学的と云われているものは現在科学では証明されないものを指します。
つまり説明のつかないものは全て非科学的となってしまいますが、ニュートン力学が正の時代に相対性理論は見つかっていません。
つまり今説明のつかないものもいづれ説明出来る時が来るかもしれないのです。
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