姉が星になりました。
享年67歳でした。
僕と姉は父親違いでしたが、たった一人の、とても大切な姉でした。
容体悪化の一報を受けて駆けつけましたが、時すでに遅しでした。
穏やかな顔で眠る姉を見て、嗚咽し、涙がとめどなく、いつまでもいつまでも流れ落ちました。
安らかに眠る姉の胸元には、家内が作ったトトロの人形がありました。
この人形を、寝巻きと胸元の間に挟んで、片時も離すことがなかったそうです。
家に戻り書斎に入ると、その変化にすぐに気が付きました。
書斎の机の前に飾ってるポートレートが、一枚だけ落ちていました。
何かの力を加えない限り、まず落ちることのないポートレートが、机の上に落ちていました。
わかりました。
お姉ちゃん、お別れの挨拶に来てくれたんだね。
棺の中で、花に埋もれながら、穏やかな顔で眠る姉。
最後に掛けられたのは、お気に入りのグレンチェックのワンピース、そして大きな麦藁帽子。
とっても姉らしい装いで、帰らぬ旅に出ました。
お姉ちゃん、ゆっくりね、安らかにね。
今まで、ありがとう。本当に、ありがとう。
絞り出すような声で、最後のお別れをしました。
嫁ぎ先の宗派から頂いた戒名。
我が家の位牌に新しく加わりました。
これからは想い出のなかでしか、会うことができなくなってしまった姉。
供養とは誠を尽くすこと、決して忘れないこと。
もう秋。。。そしてイタリアン
還暦のご報告を兼ねて
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豆子 (日曜日, 09 9月 2018 00:24)
晃ちゃん、この度はご愁傷さまでした。大好きなお姉様のこと、こちらでいつも読ませていただいて、とても素敵な方だと、会ったことはなくてもよくわかりました。
とてもお寂しいわね。
でも、会いに来てくれたこと、嬉しかったわよね。
きっと、いつも晃ちゃんのそばにいてくれるような気がするわ。
心からご冥福をお祈りします。
晃ちゃん (火曜日, 11 9月 2018 09:24)
豆ちゃん、ご丁寧にありがとう、本当にありがとうございます。
豆ちゃんの御察しのとおり、本当に素敵な姉でした。
母親譲りの太っ腹と、元祖ハイパーラテン系なノリと、情にもろい涙もろい、とても人間くさい姉でした。
八歳の年の差は、ある意味僕の感性の文明開化。姉貴はそれを体験させ続けてくれました。
幼少期にビートルズを知っていたのも、初めて洋画に行ったのも、ぎこちなくモンキーダンスを踊ってたのも、おおよそのグループサウンズの名前を覚えていたのも、洋食ではご飯をフォークの背に乗せて食べたのも、ファッショの楽しさを教えてくれたのも、みんなみんな姉貴と共にか、姉貴の影響です。
僕の感性の半部以上は、姉の影響で形成されたものでしょう。
そんな姉貴に僕は唯々感謝しかありません。
本当にありがとう、沢山の想い出をありがとう。
そして会いに来てくれてありがとう。あのお気に入りのポートレートを落とすあたり、姉貴らしい。
豆ちゃんの言うように、姉貴は本当そばにいる気がします。
妙ないい方ですが、永眠した今の方がより身近に姉貴がいるような気がします。
記憶の映像を通して会えるのは、もう想い出の中でしか出来ませんが、感じることは常にできるようになった気がします。
豆ちゃん、ブログの中での姉貴のことを覚えていてくれてありがとう、心からありがとう。
忘れない、覚えてるは供養。
本当にありがとうございます。