今年初めてのイタリアン
2019年のイタリアンはご贔屓のトラットリアで^ ^
スパゲティーじゃなくてイタリア料理が好きなってかれこれ40年。
今まで関東を中心に多くのリストランテやトラットリアを訪問しましたが、このトラットリアほど通いつめた店はありません。
昨年の春の初訪問以来、おおよそ月一度のペースで訪れています。
友人、知人、仕事仲間から食通、グルメとみなされているようで、よく美味しい店を教えてと尋ねられます。
その度に惜しげもなく体験済みの店を教えていますが、ここだけは秘密^ ^;;
まさに僕の「隠れ家トラットリア」です^ ^
新年を迎えて初の手打ちパスタは、マカロニの親玉のようなガルガネッリ。小型ラビオリのようなアニョロッティ。最後はきしめんのようなパッパルデッレ。
どんな顔で出てくるのか楽しみです^ ^
そしていつものパン。この自家製パンもなかなか美味なんです。
いつものように5種類のアンティパストミスト。
真鯖のカルパッチョにはクリームチーズが添えられていました。焼きナスはパンナコッタと混ぜてテリーヌにして供されました。
ここのゼッポリーニは大きさも揚げ加減も味も大好きです。
豚バラ肉の詰め物はインボルチーニ仕様。
メカジキを使ったボールの名称はポルテッチとのこと、バルサミコの風味が良かったです^ ^
一皿目のパスタは茨城県産のアナゴとカーボロネッロを使ったガルガネッリ。
ホームイタリアンで数回使ったことのあるカーボロネッロと、足の早いアナゴの取り合わせのパスタ。
シンプルながら各々の食材の良さが出ている一皿でした。
本日のベスト!驚き桃の木山椒の木はこの一皿!
ポルチーニクリームを詰めたアニョロッティ ダル プリン。鶏のブロードとカモミールといういかにも美味しそうなネーミング^ ^
まずはどうなってるの?と思うぐらいのポルチーニの香りが際立つ小型ラビオリのようなパスタに陶酔!
味に風味に香りに食感、そのどれを取ってもパーフェクトで、これだけで20個ぐらい食べたくなりました^ ^;;
さらに鶏の旨味がしっかりついたブロードの美味さ加減も半端ありません。
いやはや、まさに酔い痴れるとはこのこと、絶品でした。
衝撃の強過ぎたアニョロッティ。。。手の込んだパッパルデッレも霞んでしまいました>_<
でもこの皿も凝ってたんです、鳥取県産イノシシに新ゴボウスーゴ和え。
そして手打ちパスタならではの黒胡椒を練りこんだもの。
イノシシのラグーは幅広のパッパツデッレと相性抜群。
多分、アニョロッティの前に食していたら美味しい!だったんだろうな。
でも。。。アニョロッティの印象が強過ぎて>_<
お魚はサワラの香草パン粉焼き、付け合わせの下敷きには下仁田ネギが隠れていました。
何度も同じことをいってますが、火入れの上手さもこの店の売りの一つじゃないかと思う絶妙な火入れは、この日も健在。
皮目は香草とパン粉をまとってこれ以上ないぐらいにパリッパリ^ ^
でも身はジューシーでふっくら。いつものことながら、この域に達するともう魔法ですね^ ^;;
とても美味しゅうございました。
肉料理は牛のランプでしたね。添えられたのはタスマニア産マスタード。色具合からも火入れの上手さが伝わりますね。
このマスタードのマイルドな酸味と刺激がとてもいい感じのソースでした。
付け合わせはレンコンとクワイとジャガイモ、ズッキーニ。それにルッコラの原種?とアナウンスされた葉物。
どれもこれも素材の味を活かした、素敵な付け合わせでした^ ^
ドルチェはチョコレートケーキにジェラート、チョコのムースだったかな?
何しろいつもと同じ三種のドルチェ^ ^
チョコレートケーキにはラズベリーのソースが添えられていて、刺激的な甘酸っぱさでした。
ラストはお決まりのコーヒー。
至福の時間でした^ ^
定年。。。
今年の3月一杯で定年です。
トップに請われて今の組織にお世話になってから、早いもので10年。疾風の如く駆け抜けた3650日でしたね。
昨今定年延長が叫ばれているようですが現実には大半が60歳定年。
自分も来年4月以降の身の振り方を真剣に考えなければいけないのですが、人事部からは何の音沙汰もなく。
役付きで残る極一部の優秀な人間に、嘱託として年収の大幅減を甘んじて受ける輩。そもそも再雇用の話もなく去っていく人。
今の組織にシステム構築やWeb Site構築、さらには裁判沙汰での案件の責任者。そしてビル建設に至っては一件の用地取得も含めて3棟のビルを建ててきましたし、関係諸官庁への認可申請もクリアしてきました。
自画自賛になってしまいますが実績に自信はあります。
しかし。。。評価とは他者がするもの。
それに、僕は変に真面目で真っ直ぐすぎるところがあり世渡り上手とは縁遠く、その手の出世争いは苦手で嫌いで下手。
自分はどうなるのかを思うと、決して心中穏やかではありません>_<
しかし、そこは仏教徒。
いや、そんな時だからこその仏の教え。
「ありたい自分」を「あって当たり前の自分」に錯覚するところから不幸が始まります。
できれば役員で残りたい、せめて嘱託にはなるはず。。。
そんな勝手な想像、妄想、仮定の話をあって当たり前のこととした瞬間不幸の種が宿る訳です。
今こそ座右の銘、夢ある諦観^ ^
人生はなるようにしかなりません。いくらあがいても、願っても、嘆いてもなるようにしかなりません。
もう一歩進めて、なるようにしかならないとは、なるようになるということ。
心穏やかに処遇を受け入れることができますように^ ^
七つの会議
平成最期の年末年始の旅
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